在宅ライター2か月目のダメ出し!クライアントに気を付けて欲しいと言われたこと
未経験から在宅ウェブライターを始めて、2度目のお仕事が終わりました。毎回(と言ってもまだ2回)、「ああ今回もワタシの首は繋がった、多謝」とほっとしています。
(一か月目は、こんな感じでした↓)
実際に会ったことのない人とのお仕事は、なかなかに気を遣います。相手にとって私は、まだまだ信用に足る人物ではないです。そして、信用も過失により簡単に失われてしまうのでしょう。(致し方ないけれど悲しいなあ)
2度目のお仕事は、特に直しもなく(細かい点はこちらで直すのでいいですと言われた)、受領されました。
しかし、2点、文章作成についてのアドバイスを頂きました。
一点目:読む人の、一番知りたい事を突いて突いてつきまくりましょう。それ以外の事は、てみじかに済ませるのです。
二点目:読む人の、悩んでいる心に入り込んで、大変ですよねと労いましょう。正しい事が常に善ではないのです。正論は毒薬にもなりうる。
(一応、表現は変えましたが、大筋はこんなところでした)
一点目については、テクニック的な部分なので、その通りにしようと思います。重要なポイントを外さないようにしよう。
問題は、二点目について。
文は人なりというのは誠のことだなと思います。
尖っていたティーンの頃は、人間的に信用ならない人の本など読まぬと思っていました。精神的な潔癖症なのか中二病なのか。
こどもというのは、なぜ胡散臭いものをかぎ分ける嗅覚をもっているのでしょうか。
そうした嗅覚は大人になるにつれ薄れ、今はほぼ好き嫌いなくなんでも読みます。「んっ?」と思うこともすべて、「価値観の違いだよね〜」という理屈の箱に押し込んでしまいます。
自分のライターとしての文章を読んだ時に、「いやに上からだなァ」と感じます。書いている本人がそう思うという事は、読んでくださる方もそう思われている筈です。
情報を書いているので、どうしても知っている側から知らない側へ、教えていますという感じになってしまうのです。そんな書き方をしたくないのですが、それを回避する文体を持たないのです。非常にもどかしい。
この件について、「ワタシの人間性の問題かな。懐の深い人間になれば、おのずと文章に滲みでてくるはず」と夫に相談してみたところ、
「懐の深い文章も、テクニックで書けるからね☆」というお言葉を頂きました。いや、でもやっぱり、器の大きな人間に、ワタシはなりたい。
今のところ自分は、村上春樹氏が言っていたような
キュウリみたいにクールな小説じゃなくて、なすびみたいに温かい頑張り屋な小説(出典が見つからないので細部はうろ覚えです、すみません。・_・)
そんな文章が書けるようになることを、目指しております。