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大学院入試における「教授力」で、院試の明暗を分けた人たちのはなし

「稲葉力」という言葉をご存知でしょうか。稲葉力の稲葉とは、稲葉篤紀氏のことです。

日本ハムファイターズ所属のプロ野球選手、現WBC監督、愛称「なっぱ」。

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WBC稲葉監督の背番号は80!

WBCの稲葉監督の覚えのめでたい選手が、代表に召集されるという風潮を、揶揄する言葉が稲葉力となります。

用例

Q「なぜこの選手を代表に呼ばない?」

A「稲葉力が足りないから。」

でも監督が、自分が使いやすいと思う選手を代表に呼ぶのは自然なことです。それが世間の想いと大幅にずれているから、「稲葉力」という用語が出でしまったのでしょうが。

上に君臨する人間によって、下の人間の処遇が決定されることはままあることですが、友人が受けた大学院の入試でもそういうことがありました。

「稲葉力」ならぬ「教授力」によって、大学院入試の明暗を分けた人たちの話を紹介します。

大学院修士課程の院試はそんなに厳しくない!?

大学院には2年の修士課程と、5年の博士課程があります。ざっくりした分け方でいうと、修士の終了後は就職、博士の終了後は研究という感じでしょうか。

もちろん修士課程を修了してから、博士課程の院試を受けて、博士課程の3年次から入り直す場合もあります。

しかし、修士課程は2年間なので、大学に残って研究を続けていく人向けの大学院ではありません。

それ故に、院試もそこまで難しくはないようです。学部から同じ大学の大学院の修士課程に進む場合は、尚更です。

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大学院入試の配点の一例

私の周りで、生え抜きで(?)大学院修士課程に進もうとして、落ちた人はいません。

ペーパー試験に対して、面接試験の比重もそこそこあります。学部から院に進学する場合、試験で面接するのも顔見知りの教官だったりしますしね。

博士課程の院試を左右する「教授力」

一方で、大学院博士課程の試験はどうなのでしょうか。

我々夫婦の学生時代の友人やまだごろうさん(仮名)は、文学系の大学院の博士課程に進みました。(以下の記事参照☟)

fumikoyamamoto.hatenablog.jp

博士課程の院試を受けたごろうさんは、自信満々でした。もともと弁も立つから面接も得意だし、顔が広く留学生の友人も多いので英語(スピーキング)にも自信があります。

「これは受かるな」と楽に構えていたごろうさんでしたが、博士課程の試験から数日後、指導教官から呼び出されました。そして宣告されたのです。

「君今ね、首の皮一枚つながっている状態だよ」

CASE1:英語の試験の点数が悪すぎてギリギリ

ごろうさんの指導教官によると、あれだけ自信満々だったごろうさんの英語の試験(ペーパー)が、30点だったというのです。

合格に何点必要なのかは定かではありませんが、30点はさすがにあかんやろと思います。高校のテストだったら赤点だし。

(というか、本人に言っちゃってええんや)

やまだごろうさんの指導教官は、続けて言います。

「○○教授のところにいるG君、彼は首と胴体が離れちゃったよ」

ペーパーテストが出来ても指導教官に嫌われると…

G君というのは、ごろうさんと同じクラスの男子です。卒論では、ごろうさんとは別の指導教官についています。

G君は、とにかく真面目で融通がきかず、悪気はないんだろうけれど愛想がないんです。非常に要領の悪いタイプです。

「G君は、英語は君よりも出来ていたけれど、院試はダメだったね。ありゃ落ちるよ。指導教官に嫌われているから。」

指導教官とうまくやれず、煙たがられていたG君は見切られてしまったようです。

因みにG君の英語の点数は、やまだごろうさんの2倍以上ありました。それでもG君は、教授のリーク通り博士課程の試験に落ちました。

「教授力」を持っている方が勝つ

一方のやまだごろうさんは、英語の試験は壊滅的だったものの、指導教官のとりなしでなんとか博士課程の試験に合格することができました。

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首の皮一枚つながった図

大学院の試験も定員は決まっており、これは私の推測ですが当落線上にいたのが、ごろうさんとG君だったのかなと思います。

G君とごろうさん、どっちを取るとなってごろうさんが選ばれたんじゃないですかね。

ごろうさんは、「教授力」があったんですな。指導教官に「こいつは面倒見てやろう」と思って貰えたので、うまいこと博士課程に進めたのでした。

CASE2:教授に嫌われて大学院浪人

CASE2は、「教授力」が足りず、大学院博士課程の院試に落ちた後輩のQ君についてです。

我々夫婦の後輩のQ君は、個性的ではあるけれども(見た目でいうと、トム・ブラウンの立ち位置向かって左の方みたいな)、愛想も悪くないしいい子です。

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トム・ブラウンの布川ひろき氏

でも、院試を終えたQ君は、「なんか僕、面接した教授達に嫌われているみたいでした」と言うのです。

「専門の試験も、英語の試験も誇張ではなくよくできました。でも、面接官の一人が、僕のことをあまり好きではないH先生だったんです。」

「面接が終わった後に、他の受験生に『なんか面接厳しくなかった?』と訊いたんですけど、皆『そんなことないよ』って言うんです」

「僕だけ圧迫面接だったんです」

大学院浪人してようやく…

見た目がかなり個性的だけれど、周りの人ともうまくやっていけるQ君が、何故落ちたのだろうか。(見た目?)

これはもう、完全なる好みの問題なんじゃないでしょうか。

Q君はその後、1年間大学院浪人をして、次の年も同じ大学院を受けました。(初年度は、受かると思っていたから、他大の院を受けてなかったんですね)

翌年も、面接官の一人に同じH先生がいましたが、今回は合格することができました。よかった。本当によかった。

大学は「教育」の場ではない!?

CASE1、CASE2の話を聞いた時、「好き嫌いで、一人の人間の人生を決めてしまっていいのだろうか」とぞっとしました。

会社の就職面接でも、面接官の好き嫌いで落とされることはあります。それについては納得できるというか、そういうもんだろうなと思えます。

でも、教育現場としての大学や大学院で、そんなことがあるの!?と恐怖に震えてしまいます。それは自分が「教授力」を発揮できない側の人間であるからなのですが・・・('_')

私は大学に幻想を抱いていたようです。大学は義務教育ではない。大学も1個の社会であり、上司(指導教官)を立てて、同僚(研究室)とうまくやっていくことが出来ないと、誰も助けてはくれないのですね。

研究者というのも、研究する力に加えて、「教授力」「政治力」などの手腕がなければ、やっていけない仕事なのでしょうか(゜.゜)