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安壊の関係【遠距離】夫婦の大学時代!妻が夫に決定的な不信感を抱いた理由

私と夫は、宿曜占星術で安壊の関係(遠距離)という最悪の相性を持つ夫婦です。

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我々の関係では「安」にあたるのが妻で、「壊」にあたるのが夫です。

 

「安」の人間は「壊」の人間を振り回し、傷つけ、ぼろぼろにしてしまうことが、宿曜占星術の中で最も凶悪な関係と言われる所以です。

 

出会いの当初、「安」側の人間が「壊」側の人間に対してどのような印象を持ったかについての実録です。

 

 

大学の途中までは殆ど会話がなかった

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結構な接点があったにもかかわらず

大学時代、同じ学部・同じクラスで専攻も同じ、第二外国語も同じだったため、私と夫の授業は結構被っていました。

 

にも関わらず、大した話をした覚えがありません。

出身地も知らない。

サークルが何かも知らない。

どこに住んでいるかも知らない。

彼女がいるかも知らない。

 

大学3年生位までは、このような当たり障りのないことすら知りませんでした。

 

派手で目立つタイプの人の情報は、嫌でも耳に入ってきます。夫は陽気だけれど、そういう目立つタイプではありませんでした。

 

その当時夫に抱いていた印象

 

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夫は若い頃元野球選手の里崎智也氏に似ていた

 

その頃、夫に対して抱いていた印象はこんな感じです。 

 

夫に抱いていたプラスの印象

・クラスで地味なタイプの人(私など)にも分け隔てなく接する。

・授業中、声が良く通って聞こえやすい。

 

夫に抱いていたマイナスの印象

・要領よく生きている気がして鼻持ちならない。

・可愛気を出して、人に助けて貰っているように見える

 

総じると、本人は悪くないはずのに、なんとなく虫が好かない部分もあるという感じです。

 

こういうのを、相性が良くないって言うんでしょうか。

 

しかし、夫の印象が決定的に悪くなった瞬間があったのです。

夫に対して決定的な不信感を抱くようになった出来事

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教育学の教授

それは、そろそろ教育実習の準備が始まる頃でした。同じ教職科目を受講していた私と夫。その授業の中で、受講者の約1/5が任意の発表をしなければならなくなりました。

 

「手間がかかるのであまりやりたくないけれど、やった方が授業の意義も高まる」といったような発表です。

 

誰が発表するかについては、教授がフィーリングで名指しをしていきました。

 

指名された人は、みんな一応「やりますかね」という感じで引き受けていました。

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教室の一番後ろの席に座っていた夫

ところが夫は、「(教育実習があるので)忙しいんで無理です」と言って、断りました。

 

「ここにいる大体の人が、教育実習を控えている身だろうよ」と憤った私は、しかめ面になりました。一番後ろの席に座っていた夫には、見えてはいなかったでしょうが。

 

イメージ通りの人間だったと実感

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ロクでもないというのも乱暴な表現ですが

元々夫に対して、「うまいこと楽して生きてんじゃないの?」という思いを抱いていた私は、「やっぱりこの人は、嫌なことからうまく逃げて生きてるんだ」とその時に確信しました。

 

(あと、夫が「無理です」と発言した時の声のトーンや言い方も、何故だか癇に障りました)

 

でもこれは、やりたくないことを「無理だ」と言える夫に対して、僻んでいたのかもしれません。

 

本当に無理なら断ることもやぶさかではないです。それによって教授の心象が悪くなり、 損するのも夫です。私がどうこう言える立場ではありません。

 

また、「こんな大事な時期に、発表の準備のために貴重な時間を取られるのは、どうかと思いますよ教授」という、夫なりの抵抗だったのかも知れません。(と思ったけれどこれはないな)

 

自分とはタイプの全く違う人間への愛憎

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困難な道が正解だと信じていた

私はこういう状況になった時に、断れないです。断る勇気もないという理由もありますが、面倒なこと程やらなくてはならないと強く思っていたためです。

 

大学生の頃の自分は、楽な道と険しい道があれば、必ず険しい道を選んでいました。

 

「面倒な事、大変な事、苦しい事に敢えて挑戦してこその人生」と思っていた。下手をすると自分だけでなく、周りの人も苦しくなる考え方です。

 

夫は、しなくていい苦労はしたくないというタイプで、効率よく生きることをよしとしていました(結婚した今もそれは変わっていません)。

 

このことが分かってから、夫に対するなんとなく虫の好かない感じが結構嫌な奴という感情にはっきり変わりました。

 

性質の違う人間と触れ合うことの意義 

村上春樹さんが『意味がなければスイングはない』で取り上げた「2人のピアニスト」を読んだ時に、ルドルフ・ゼルキンが私で、アルトゥール・ルービンシュタインが夫だと思いました。

 

「簡単なルートを信用せず、苦行僧のように練習をする」というゼルキンと、「音楽さえ伝われば細部は適当でいい」というルービンシュタイン。

 

全く対照的な二人として描かれていた二人が私と夫の様に見えてきて、やっぱり私たち夫婦は対極にあるのだという客観的な事実を突きつけられたようでした。

  

今にして思うと、私が夫に抱いた嫌悪感は、自分にとって異質な性質(夫にあって自分にないもの)を取り込んで、成長していくための第一段階だったのかも知れません。

反発→受容→獲得

 

安壊の関係という関係にある二人は、本来は交わるはずのない二人です。でももしその人とどうしようもなく関わってしまったのであれば、うまくすると何か自分を根底から覆すように生まれ変わることができるのかもしれません。

 

夫に不信感を抱いていた妻だったのですが、その評価が覆がえるようになったという、続きの話はこちらになります☟

 

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